マーラーの交響曲と「子供の魔法の角笛」

この文章はもともといずみホール・マーラー・レクチャーコンサートの感想の中に書いたんですが,ちょっと今後も考えてみたいテーマがあるので,ここに抜き出して置いておきます。コンサートのテーマが<子供の魔法の角笛と交響曲>というテーマであったので,それに沿って書いてあります。



◆「第1」

「若人」の第4曲と「巨人」第3楽章中間部の旋律を聴くと「若き日の歌」の中の「もう会えない Nicht wiedersehen」の最終節 "Ei du, mein allerherzliebster Schatz" の部分をいつも連想します。これ、歌詞の内容も埋葬だの別れだのだし、両曲の源流の一つである可能性はあるんじゃないでしょうか。ついでに、この歌のリフレイン "Ade, mein herzallerliebster Schatz" は「大地の歌」の「告別」で、オケのみの長い間奏の終わり近くに出てくる楽想とよく似ています。これを引用と見なせば、第10のプルガトリオと並ぶ、晩年の「角笛」引用の貴重な例ということになります。

◆「第2」

「復活」の中での「原光」の位置付けは面白い問題です。この交響曲はよく、「第5」や「第7」と同じ、スケルツォを中心に置く5楽章アーチ形式とされていますが、これは聴感上の印象とは一致しません。やはり、「原光」は第1楽章の後の5分間休止に呼応する、第2、3楽章の描く世界と両端楽章の描く世界を結ぶブリッジであり、「復活」は本質的には4楽章の伝統的な交響曲の形式にのっとっていると考えるべきだと思います。すると面白いことに、2、4、6、8、9と1曲ごとに4楽章またはそれに基づく構成の交響曲がならびます。残りのうち、1と3はどちらとも言えないんですが、5、7、大地、10は完全なアーチ形式ですから、マーラーは(少なくとも後半生は)、4楽章形式とアーチ形式の交響曲を交替に書いていたことになります。ですからもし第11番が作曲されていたらきっと4楽章だったんじゃないでしょうか。ついでにアーチ形式のほうの主調はD−D−C#−H(E)−A−F#と、ニ長調の音階をだんだん下がっていってます。第10でF#なんていう面倒な調性を選んだのは、もしかしたらマーラー自身、これを意識していたからという気がします。

◆「第4」

当初この交響曲の中に「この世の生活」が使われる構想があったとのことですが、結果的には天上のイメージでほぼ統一されてしまいました。こういう形にまとめるのに、もしかしたらマーラーは「ブランデンブルク第4番」を意識していたとは考えられないでしょうか。「第4番ト長調」だし、開始は「バッハの調」であるロ短調(マーラーの時代に意識されていたかどうかはわかりませんが、同じくバッハの影響の強い第7でロ短調を選択していることから考えると、偶然でない可能性は十分あると思います。)ですし、ヴァイオリンのソロはあるし、対位法はもちろん駆使されてますし。

◆「第10」

マーラーは「少年鼓手」以後「角笛」を離れてしまって、この「第10」で久しぶりに「この世の生活」の引用(?)という形で、間接的にではありますが「角笛」の世界に再接近します(「大地」に「もう会えない」が引用されてないとすればですが。)。実はこの「なぜ突然ぱったり使わなくなったか」「なぜ第10で復活したか」ということが一番知りたかったんですが、お二人ともそのことはおっしゃいませんでした。簡単に答えられることではないのはわかっていますが、ぜひ意見をお聞きしたかったです。

特に第10は、わけのわからない書き込みがたくさんあるし、「悪魔が私と一緒に踊る」なんていうのはちょっと第4の第2楽章を連想させるし、ここで「この世の生活」が再利用され、しかも「プルガトリオ」なんていうタイトルが付けられているのはどういう意味があるのか、非常に興味あるところなのですが、我々素人にはさっぱり想像もつきません。いや、適当な想像だったらできますが、それが正しいかどうか確かめる術がありません。このあたりを伝記的な事実とかから推測して話していただければ面白かったのではないかと。


(97.9.20)

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