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マーラーの未出版の2つの交響曲楽章

1. 序

マーラーに,まだ出版されていない未完の交響曲楽章(らしきもの)が二つもあるというのをご存知でしょうか? 花の章とか葬列とか,ヤルヴィの録音している交響的前奏曲(疑作)のことではないですよ。スケルツォ楽章とプレスト楽章,しかも若書きじゃなくて,少なくとも,ウィーン国立歌劇場の音楽監督になった1897年以降(つまり第4番以降)の作品です。

これ,別に新発見でもなくて,存在は20年ぐらい前から知られているそうですので,ひょっとしたらご存知の方もいらっしゃるかもしれません。しかし一般的にはほとんど情報が流通していないと思いますので(私も最近まで知りませんでした),Naturlaut Vol.2 No.1 に掲載されたフィラー Susan M. Filler の論文に基づいて,概略をご紹介します。原文には譜例が載っていますが,転載するのはちょっと気がひけるんで,ここを見てください。PDF版はもちろん,Full Text版のほうでもちゃんと譜例は見られます。なお、フィラーはこの二つの楽章の演奏用バージョンを既に完成しているそうですが、そちらもまだ出版されていません。

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2. 来歴

スケルツォの草稿は,最初音楽学者のハンス・モルデンハウアー (1906-1987) Hans Moldenhauer のコレクション中に発見されましたが,彼はこれを後にウィーン市に売却しましたので,現在はウィーンの図書館に納められています。一方プレスト楽章は,ニューヨークのピアポント・モーガン図書館 Pierpont Morgan Library にある,マーラーの姪にあたる人のコレクションの中にあります。しかし,もともとはいずれもアルマ・マーラーの所有物で,アルマはこれをアルバン・ベルクにも見せています。ベルクはこれらをマーラーの若い頃の作品だと考え,表紙にそう書きこみました。なお,マーラーの知人や家族もこれらの楽章のことは何も知りませんでしたので,ベルクがこれを見せられたとき,これらの楽章の存在を知っていたのはアルマとベルクだけでした。ベルクの書いた文はだいたいこんな意味です。

片面に書かれた7ページの原稿,全く知られておらず,マーラーの既知の作品のどれにも,また第10交響曲にも属さない。[このスケッチは]4分の2拍子のトリオをもつ8分の6拍子のスケルツォ楽章のようだ。最初期ではなくともかなり前のものだが,多くの青字の番号は最近のものらしい。マーラーは後にこれらの古いスケッチのテーマを使うことを考えたようだ。
しかし若書きというベルクの推測は間違いでした。詳しい理由は省略しますが(原文参照),使われた紙から見て,1897年以前ではありえないのです。

これらの楽章がなぜ未完に終わったかについて,フィラーは4つの可能性を示唆しています(忙しかった,出来が不満だった,健康上の問題で他の作品に集中するため放棄した,忘れた)が,どれも決め手があるわけではなく,要するにわからないということのようです。

3. 2つの楽章の概要

3.1 スケルツォ

さて,ではこれら二つの楽章がどんな曲なのかを紹介しましょう。まず,スケルツォの方です。こちらは8分の6拍子,ハ短調/ハ長調の主部と,4分の2拍子,変イ長調のトリオからなっています。その後経過句があって,主部が繰り返されるのですが,主部のどこで終わるのかは指示されていません。なお,このスケルツォで,トリオが変イ長調という遠隔調で出てくるのは,マーラーとしては異例のことです。フィラーは第7番の第2楽章との共通性を指摘しています。また,トリオのあと経過句を経てスケルツォに戻るのも珍しく,この技法は第10番の第2楽章などでさらに発展させられたとしています。

スケルツォの草稿は9ページあります。最初の4ページは3段のショートスコアで書かれており,ここには6/8拍子のスケルツォ,2/4拍子のトリオ,それにスケルツォへと戻る6/8拍子の経過句が含まれています。第4ページの最後にマーラーは「繰り返し reprise(元はドイツ語でしょうね)」と書いてあります。つまりトリオが終わると最初のスケルツォに戻るわけです。これは非常にオーソドックスな形式なわけですが,面白いのは,経過句のところでマーラーは,スケルツォの主題とトリオの主題を結合させていることです。譜例2a,2b,2cを見てください。細かい動きのスケルツォ主題と広々したトリオ主題(ブルックナー風の2+3リズムも出てきます)が同時に鳴ってますね。マーラーは実際に,スケルツォへの復帰の部分を書いてはいないんですが,この経過句からもマーラーの意図は裏付けられます。

ここで問題が一つあります。それは,スケルツォに戻るのはいいけれど,いったいどこで終わるかということです。マーラーの指示はありませんし,いくつかの可能性があるので,後に検討するとフィラーは書いています。我々も後で拝読することにしましょう。

残りの5ページはスケッチです。ここに書かれているのは,ショートスコア中のいろいろなパッセージのヴァリアントがほとんどです。マーラーの作曲のやりかたは,まずこういうスケッチを書いて,メロディやハーモニーを発展させ,ショートスコアに書いて最後にオーケストレーションというものでしたから,これらのスケッチはこのスケルツォ楽章の早い段階を示すものだということになります。

3.2 プレスト(ロンド)

もう一つの楽章は「プレスト」です。「プレスト」というタイトルはマーラーの作品で他にありませんが,実際はロンド楽章です。この楽章をマーラーはト長調で書いていますが「ヘ長調にすべきだ」と後に文字で記しています。

プレスト楽章の方はスケルツォより短く,3ページしかありませんが,非常にびっしり書き込まれています。うち2ページは ¢(2/2拍子)で,残りの1ページは3/2拍子です。ここでも基本的には3段のショートスコアです。3ページとも片面にのみ書かれているようですが,3ページのうち第1ページのみは,裏にも1小節書かれています。これは表面の続きで2ページ目の最初につながります(譜例3)。

3ページ目は,¢ではなく3/2拍子,ト長調でなくニ長調なので,フィラーは最初,これはいったい他の2ページと関係あるものなのだろうかと思った,と書いています。なお,ニ長調の調性記号はページの最初でなく半分ぐらい下に書いてありますが,それより上の部分にもシャープやナチュラルが書かれているのでニ長調であることは明確にわかります。

この第3ページの一番上に,マーラーは "Coda der Themen"(主題のコーダ)と書いています。譜例4a,4bのように,旋律線は異なりますが,和声は非常に関係していますので,4cのように,二つを同時に鳴らすことが可能です。

なお,この4cではいずれもヘ長調にフィラーが移調して書いていますが,前に述べたように,最初の2ページはト長調(「ヘ長調にすべき」というマーラーの書き込みあり),第3ページはニ長調で書かれています。これは別に驚くようなことではなくて,作曲の途中でいろんな調性を試してみるというのはマーラーには珍しいことではありませんでした。例えば第10番のアダージョのあるパッセージで,マーラーは7つのヴァリアントをニ長調で書いた後,結局オーケストラスコアの段階で変ホ長調に直しています。コーダの拍子が違いますが,これを後に変えるということはなかっただろう,とフィラーは書いています。同じ楽想を異なった拍子で書くということはマーラーには珍しくないからです。

第2ページの最後にマーラーは "Anfang(最初)"と書いています。これはつまりダ・カーポのことで,最初に戻るわけです。これは音楽からもわかります。この楽章は譜例5aのようにはじまりますが,第2ページの最後にこの主題の変形された形(5b)が書かれています。この楽章はロンド形式ですので,このことは問題がありません。しかし,コーダがどこで入るかというのはまた問題になります。

4. どのような性質の楽章か

次の問題は,この二つの楽章がどういう性質のものかということです。どうやらいずれも交響曲の楽章として書かれたようなのですが,われわれの知っているマーラーの交響曲で関連のありそうなものはありませんし,マーラー自身もマーラーの友人も,別の交響曲の計画については述べていません。フィラーは,この二つの楽章が互いに関係していると考えています。その根拠をフィラーはいくつか挙げています。

まず,これらが独立して残存していること(原文:they both survived independently)。 よく意味がわからないんですが,要するに,他の交響曲の差し替え用ではなく,これはこれで新しい別の計画があったんだろうということのようです。

次に,もしこれらが交響曲の一部であるならば,最初の楽章または終楽章ではない。これは形式からの推定のようです。ロンドの終楽章はもちろんあるんですが,ダカーポだから違うだろうってことのようで。

3つめに, 調性。スケルツォの方は主部がハ短調/ハ長調,トリオが変イ長調などですが,これは第7番の最初の「夜曲」楽章(第2楽章)と一致するのです。プレストの方を見ると,マーラーが「ヘ長調に変える」という書き込みがあるのですが,ヘ長調というのは,これまた第7番の二つ目の「夜曲」(第4楽章)の調性なわけです。この第7との並行性は,作曲家のアラン・スタウトが指摘したことだそうですが,スタウトもフィラーも,これらが第7の「夜曲」楽章と交替するものだとは考えていないそうです。しかし,第7番と何らかの関係がある可能性はあるでしょう。ともあれ,これは面白い指摘ですね。

二つの草稿の余白に,青鉛筆で大きな数字が書かれていること。これはマーラーが普段使っていた普通の鉛筆や黒インクとは異なるものです。この数字の意味はわかりませんが,ベルクは,これらが作曲よりも後になって書かれたのだろうと推測しています。フィラーはマーラーが形式やつながりを考えるためのメモだろうと推測していますが,両方に共通するこのような書き込みが存在するということは,二つに関係があるという根拠になるでしょう。

5. 復元作業

この後フィラーは,実際に演奏可能なスコアを作るまでの復元作業の詳細を述べています。彼女の方針は,簡単に言うとデリック・クックが10番の演奏用バージョンを作るときのそれと同じようです。つまり,間違い(音価の調整,不要な臨時記号の整理など)を訂正し,単旋律でしか書かれていないところには和声を加える,しかし余計なものは付け加えない,というわけです。

この後のところはちょっとはしょります。ただ,スケルツォの譜例7は今まで出てこなかったものですので,この楽章について少しでも知りたい人という人はお見逃しなく。それから,スケルツォ主題の和声的アウトラインが例の「ディエス・イレ」に基づいているということが指摘されています。プレスト(ロンド)の方は,アラン・スタウトがヴェーバーの,ズデニェク・マーツァルがボヘミア音楽の影響を指摘したそうですが,まあこれはいいでしょう。

その次にフィラーは,議論の余地のありそうな決定をせざるを得なかった2箇所について述べています。まずは,スケルツォのトリオ部分にある譜例9です。これは,見てわかるとおり,明らかに主旋律ではないのです。こういう例は第10番の第4楽章にもあるそうですが,主旋律を補うかどうかというのが問題になります。フィラーは,そのまま旋律なしで行くか,マーラーがウィーンで指揮したオペラのどれかからテーマを持ってくるか,この旋律の和声の低音を長い音符で書いてみてそれを旋律にするとか,いろいろ試してみたとあります(結局どうしたのかな?)。

もう一つはプレスト楽章のコーダで,低音部にある音符をドミナントに最初の1小節だけ書いています。そして何小節か後に,今度は同じ音符をトニカに書いています。フィラーはこれを,マーラーは同じ音符を繰り返して,休みなしにトニカに移ることを意図していたと考えています(譜例10)。

第3の作業は、両楽章の形式の問題です。つまり、前にちょっと触れた、トリオのあと主部をリピートするのはいいが、どこで止めるかとかそういうことですね。まずスケルツォのほうですが、フィラーは小節数に着目しています。スケルツォ主部全体は145小節、トリオが71小節、経過句が39小節で,主部の第19,57,80小節で二重縦線があって、一応の切れ目になっています。ということで、この3箇所が楽章終わりの候補となるわけですが,19小節や57小節ではバランスがわるすぎるので,80小節が妥当だろうとしています。フィラーは81小節から85小節の部分に基づいたコデッタを作って(譜例11)楽章の締めくくりとしています。

プレストのほうはやや問題が異なっています。こちらは第3ページにコーダがちゃんとあるのですが,マーラーは第2ページで楽章の最初に戻ることを指示していますのでダカーポの間のどこにコーダを差し込むかということを見つけなければならないわけです。

さて,前に書いたように,プレスト楽章では,第1ページのみ,片面に書いたあと,裏面に1小節だけ書かれています。楽章の第1部分では,ここから第2ページにつながるわけですが,一度戻ってからは,ここからコーダに行くことができるのです。譜例12aは第1ページから第2ページへつないだところ,譜例12bは第1ページからコーダへとつないだところです。

第4の作業は,マーラーの書き込みに従って,プレストの主調性をト長調からヘ長調へと移すことです。唯一の問題は,コーダを含む第3ページの調性(ここだけニ長調で書かれているのです)をどうするかということです。マーラーは,一つの楽章を,開始時と異なる調で閉じるということをときどきやっています。例えば第4番のフィナーレはト長調ではじまってホ長調で終わります。しかし初期と中期の交響曲で,これをやっているのは両端楽章のみです。フィラーは,このスケルツォとプレストは中間楽章だと考えるので,プレストがヘ長調ではじまってニ長調で終わるということは考えにくいとし,コーダの第3ページもヘ長調に移しています。

最後の,最も大きな問題はオーケストレイションです。マーラーはいくつかの楽器の指示をショートスコアに残していますが,大部分はフィラーが決定せねばなりませんでした。この作業でフィラーはクックのマーラーの10番演奏用バージョンに範を取ることを言明しています。まだ出版はされていませんが,クックの10番のスコア同様,マーラーのショートスコアとフィラーの演奏用バージョンを並置し,比較できるようにするとのことです。

6. 跋

フィラーの論文は以上です。なお,私の文章は,フィラーの論文をはしょりながら大雑把に翻訳したというようなものですので,文責は私にあります。詳しく,あるいはもっと正確に(私が読み違えてる部分もあるかと思います)知りたい方は,The Mahler Archivesにある原文(Gustav Mahler's Unknown Scherzo in C Minor and Presto in F Major - by Susan M. Fillerというのがそれです。)を見てください。フィラーはこの仕事について批判もされたようで,原文では自分の立場を防衛するような言葉も結構あるんですが(訳ではほとんど省略しました),マーラーのファンとしては,とにかく早く出版されて,音で聞けるようになればいいなと思いますね。楽しみです。

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