マーラーの第7について

「マーラー・ブーム」のおかげで以前よりはましになったと言うものの,彼の「第7」は相変わらず人気がないようだ。その最大の原因がフィナーレにあることは,その明るさへの当惑が多くの人々によって語られていることからも確かだ。 それまでの「夜の音楽」とこの「白昼の音楽」の落差は何だということで,「第7」は理解困難だという評価が定着してしまっている。しかしよく探してみると理解の手掛かりはある。ここではそれらのいくつかに着目しつつ,フィナーレにとどまらず,この交響曲全体の理解のために,一つの見方を提案したい。

まず第一の手掛かりは、同じ純器楽交響曲である「第5」との形式上の相似だ。どちらもスケルツォを中心とした五楽章で,前半が短調,後半が長調となっている。マーラー特有のアーチ構造の典型である。しかも両曲とも冒頭楽章は短調,フィナーレはその半音上の長調(第5は嬰ハ短調→ニ長調,第7はロ短調→ハ長調)で書かれている。構成的にここまで似たペアは彼の作品中他にない。

だがもちろん違いもある。まず「第5」は,第1楽章を序奏と考えると伝統的な四楽章交響曲でもある。そのうえ,長大な第3楽章(ベルリオーズを継ぎラヴェルに継がれる「主観的ワルツ」の楽章だ)を転換点とした暗黒→光明の劇的推移も明確に存在する。つまりマーラーは,「第1」 以来久し振りの純器楽交響曲である長大な「第5」を三重もの骨格で支えようとしたのだ。ところが一方,「第7」を支えるのは純粋にアーチ構造のみなのである。これは他の作品にない「第7」の特徴である。やはりこの構成が指摘される「第1(花の章付き)」「第2」「第5」には標題音楽的な筋だてがあったために楽章の前後関係には不可逆性が強く存在したが,「第7」ではむしろ前後の対称性がより強調されていて,一貫した筋だてというものは希薄である。つまり,マーラーは「第7」で初めてアーチ構造を自立した構成原理として打ち出したのである。

すでに書かれていた二曲の「夜の歌」を交響曲にまとめるために,成功作「第5」の構造をマーラーが転用したのは理解できる。「第7」以前の彼の交響曲で,当初計画の楽章構成プランですんなり完成したのは事実上「第5」だけだからだ。「第5」の形式は彼にとってそれほど安定感のあるものだった。しかし,それまではプログラム優先で形式が決まっていたために作品ごとに違う構成をとってきた彼が,旧作の枠組みを初めて再利用したことは見逃せない。彼にはどんな意図があったのか。

ここで注目すべきは第1楽章だ。実はこの楽章は,バッハの第2組曲の序曲と密接な関連を持っている。まず冒頭の弦動機のリズムが注目される。付点八分音符一つと三十二分音符二つの連結からなっているこのリズムは,バッハの冒頭と全く一致するのだ。マーラーの尊敬していたブルックナーが「第8」の冒頭でベートーヴェンの「第9」の第1楽章第1主題を,同じようにリズムだけ引用しているが,ひょっとするとこのあたりにヒントを得たのかもしれない。 次のテノールホルンの主題も同じリズムによっているが,このわずかな出番のために普通のホルンでなくテノールホルンなどという珍しい楽器をわざわざ使ったのはなぜかというのも「第7」の特徴であり問題点だ。もしマーラーが,例えば「夜の生温かい空気」か何かを表すためにこの楽器を選んだなら,もっとたくさんの出番があってしかるべきではないか。ところが実際は冒頭と後半での序奏復帰の2カ所,つまりバッハのリズムが出て来るところだけなのだ。これもフランス序曲の特徴的な付点リズムを明晰にだすためと考えれば納得できる。ラッパに手を突っ込んで後ろの壁に向かって吹くホルンより,この軽い音の楽器の方が機敏な細かい動きが出しやすいからだ。

もちろんロ短調という調性も忘れてはならない。マーラーの時代にもなると器楽曲の調性の選択は,楽器の演奏しやすさ響きやすさという側面が薄れて来るにつれて,調性自体のもつ象徴性が相対的に重要になってきていたはずだ。また,超高度な管弦楽法もバッハの愛用した合奏協奏曲風音色変化の末裔と言えるのではないだろうか。マーラーとバッハの関連というと「第5」の終楽章などがよく指摘されるが,対位法だけがバッハではないのだ。

しかし「第7」の第1楽章とバッハの第2組曲の序曲だけに共通点があっても,その後はそれほど似ているとは言えない。「第7」全体がバッハの組曲第2番とそのまま対応するわけではないのだ。「第7」とバッハはいったいどういう関係なのだろうか。

実はそのヒントとなる曲がある。1909年,つまり「第7」初演(そして失敗)の翌年に完成された,バッハの第2,3組曲による管弦楽組曲だ。これは「第2番」のロ短調の序曲に始まり,「第2番」のロンド(バディネリがトリオとして入る。),「第3番」のアリアを経て,同じく「第3番」のガボットで終わるという編曲作品だ。大指揮者マーラーが,バッハの組曲を近代のコンサートホールに復活させるにあたって,オーケストレーションの拡大を行ったのは当然だ。しかし,それだけでなく楽章の再編成までやったことは重要である。序曲のあとただ舞曲を漫然と並べたかに見えるバッハのオリジナル通りでは聴衆が退屈するのではないかを恐れて,四楽章交響曲の形式で全曲を統一しようとしたわけだ。マーラーにはベートーヴェンやシューマンの交響曲,そして「死と乙女」「セリオーソ」の弦楽合奏版など編曲の仕事が多くあるが,それらのうちで楽章構成まで変えてしまったのもこれだけであるし,生前出版されたのもこれだけである。この組曲はマーラーの重要な「作品」なのだ。

さて,この組曲をよく見ると,「第7」に非常に似てはいないだろうか。曲頭に置かれたのはまさにロ短調組曲の序曲で,これは「第7」の第1楽章と同じく曲中最も大きな規模をもつ楽章である。そして終楽章にはわざわざ3拍子系のジーグでなく2拍子系のガヴォットが選ばれ,これも「第7」のフィナーレを思わすように金管が華やかに活躍する。全体の構成を見ても,転換点としてのスケルツォこそないが(そんな屈折した曲がバッハになかったためか。),「第7」と同じ「短調の前半/長調の後半」の構成を採っているのだ。

これは作曲者自身による「第7」の絵解きと見ることができないだろうか。マーラーは,バッハの組曲を復活させるためには近代的な形式で統一することが必要だと考えていて,それを実際にバッハの作品でやって見せたのが1909年の編曲だった。ということは彼がもしバッハの組曲のような作品を自分で書こうとしたら,その構成はこれに似たものになるはずだ。つまり「第7」がそうである。

「第5」「第6」は,歌詞や標題こそないものの,事実上自分を主人公とした「筋のある交響曲」だった。これらは,ベートーヴェンに始まるロマン派的交響曲の系譜の上にあるといえよう。しかしハンマーで彼の主人公を撲殺してしまったマーラーが次に目指したのが,バッハの健康な精神による絶対音楽だったということはありうる。

マーラーはやはり「第7」をバッハの組曲の現代的復活として構想したのではないか。最も長い第1楽章は序曲,後の四楽章は舞曲群にあたるというわけだ。そして標題も声楽もないこの「マーラー風バッハ」を古典派交響曲形式に代わって統合するために使われたのが「第5」の形式だったのだ。従って1909年の組曲は,いわば世に理解されなかった「第7」の仇討ち,アーチ構造によるバッハ風組曲への再挑戦というところか。

あれだけ凝った管弦楽法のわけもわかる。ロゴスに支配されない純粋な音の楽しみを一応目指した「第7」において,音色の多様性は手段でなく目的だったのだ。いまどきマーラーの交響曲を音響的興味だけで聴くべしというのはかえって勇気がいることだが,「第7」に限っては意外に正しい道かも知れない。作曲者がこの曲の管弦楽法に生涯手を入れ続けたことも,彼はこの曲の出来に満足していなかったのだ,と勝手に忖度して「第7」駄作説の論拠にするよりも,むしろ「第7」の命が音色にあることをこそ示していると見るべきであろう。とするとフィナーレも1906年マーラー作の超巨大管弦楽組曲の終楽章としては至極ふさわしい音楽と言えるのではないだろうか。

ついでに言うなら,「夜」のイメージにこだわりすぎてしまうことにも警戒したい。「セレナード」に過ぎない "Nachtmusik" という楽章名に,わざわざ「夜の歌」などと意味ありげに語源分解した訳語をつけて,しかも交響曲全体の標題にまで格上げするのは果たして適当だったのだろうか。そもそも我々は「マーラー=世紀末,退廃,根暗」の先入観にとらわれ過ぎていなかったか。例えば「第8」にまで不安の影や破滅の予感を感じようとすれば感じられる,それと同じ次元で「第7」に暗さを聴き取るのは自由だ。しかし作曲者自身「第7」は「明朗快活」な音楽だと言っていることは過小に考えるべきではなかろう。だいたいあのプカプカいうテノールホルンからみても,この交響曲を深刻な音楽と考えるのには無理がある。「明朗快活」な曲にヘビーな筋だてを期待すれば不満が残るのは当然だ。この交響曲の評価に際して出されて来た疑問符は,我々の誤った思い込みと曲の実像とのズレに源があったような気がする。

以上マーラーの「第7」について,特にバッハとの関連から一つの考えを提示してみた。もちろん,カウベルや軍隊ラッパもしっかり出て来るこの曲を絶対音楽と言い切ってしまうことなどには問題もあろうが,作者の意図を理解するための一つの方向性としてはそれほど見当外れでもないように思う。何が何でもマーラーは根暗でないといやだという向きには抵抗もあろうが,明朗快活は明朗快活で意外に奥は深いもの,一度この線で聞き直して頂けば,また新しい魅力が現れてくるということもあろうかと思う。とりあえず,あのフィナーレに感じていた割り切れない思いはある程度解消されるのではないだろうか。

(大昔、某誌の投書欄に出したものを改稿。92.1.31/98.9.3改訂)



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