マーラーの第6について

マーラーの「第5」が「ベートーヴェン的」な交響曲の系譜に連なる作品であることはほぼ説明不要であろう。頻出する「運命」動機、「苦悩から歓喜へ」というプログラム、いずれもベートーヴェンの交響曲、特に「運命」を連想させずにはいない。一方「第7」はバッハとのかかわりの深い作品であることは、別稿で示した通りである。

さて、これらの間に作曲された「第6」は、ブルックナーと深い関係をもっている。部分的な類似は多い。例えばこの曲の冒頭はブルックナーの「第1」にそっくりである。また、第1楽章は提示部反復が指定されていて、一見劇的な内容にそぐわなく思えるが、これもブルックナーに倣ったと考えればわかる。第2主題直前の木管のコラール風楽句、小節線を無視して流麗に流れる第2主題、そして長大な第一楽章全体を支配する厳格なソナタ形式も同様である。巨人的なスケルツォ主部と天衣無縫なトリオ,同主調が頻繁に交替するアダージョ主題,息の長い頂点の築き方,これらもすべてブルックナーの特徴である。各主題も6度やオクターヴの跳躍を多く含み,マーラー的な歌謡性よりもブルックナー的巨大さへの接近を感じさせる。

これは単に影響という言葉で片付けるよりも、かなり意識的にブルックナーを模倣したと考えられる。一時とはいえ中間楽章の順序を迷ったというのも、ブルックナーに倣うためだったのかもしれない。この曲の場合どう見てもアダージョが後のほうが両楽章ともより生きるのだが、ブルックナーは「第8」「第9」を除いてすべてアダージョが先なのだ。

かつてマーラーとブルックナーが混同されていた時代への反発からか,この二人の関係は現在過小評価されている感があるが,そもそもマーラーの交響曲,特に純器楽のものでブルックナーの影響がないものはないと言ってもよいほどだ。「巨人」の開始やスケルツォ,「第5」「第9」のフィナーレはその典型的な例である。「第7」冒頭でマーラーがバッハの組曲の付点八分音符+三二分音符2つというリズムをそっくり引用したのも,ブルックナーが「第8」でベートーヴェンの「合唱付き」を引用したのと同じ手法だし,マーラー「第10」アダージョでのトランペットの叫びはブルックナー「第9」を連想させる。またマーラーに行進曲のリズムがあるとわれわれはすぐ葬送行進曲と決め付けてしまうが、ブルックナーによくある「歩み」との関連も考えるべきだと思う。

よく知られているように、マーラーはウィーンフィルの指揮者に就任した最初のシーズン(1899年2月)ブルックナーの「第6」の全曲初演を行っている。彼が尊敬していたブルックナーの作品を初演したのはこれ1曲だから,特別印象深い曲となったはずだ。マ−ラ−が自分の「第6」のモデルにブルックナーを選んだのにはこんな数字へのこだわりがあったのかもしれない。そして「悲劇的」と最もつながりのあるブルックナーの交響曲はまさにこの「第6」なのだ。「第5」では「運命」の半音上の嬰ハ短調で曲を始めたマーラーは「第6」でブルックナーの「第6」の同主調のイ短調を採用した。しかもブルックナーの「第6」はイ長調ではあるが開始はマーラーと同じイ短調である。またマーラーの第1主題はブルックナーのフィナーレの第一主題とよく似ている。

しかし、ブルックナーの「第6」をマーラーが無条件に評価していたかとなるとそれは疑問だ。現に初演の時彼はこの曲に大幅なカットを施している。このようなブルックナーのカット,そしてシューマンやベートーヴェンの管弦楽法補修は確かに当時誰もがやったことであるが,マーラーがワーグナーの慣習的カットをウィーンで断固復活させた指揮者でもあることを忘れてはならない。つまり彼は欠点がないと判断した作品には手を加えておらず,価値はあるが楽器法がまずいとか長すぎるとか感じた作品に限って手を入れたのである。

面白いことにマーラーは「第5」「第7」おまけに「第9」のモデルと目される曲にもすべて同様のアンビバレントな評価を下している。彼はベートーヴェンの交響曲の中でで「運命」の指揮だけを苦手とし「あの出だしだけはどういう意味かわからない。」とこぼしている。バッハの組曲については、楽器法のみならず楽章編成まですっかり変えた編曲を発表していることから、そのままでは現代のコンサートに向かないと考えていたことがわかる。また、マーラーの「第9」はチャイコフスキィの「悲愴」とそっくり同じ構成をもっているが、チャイコフスキイを高く評価していたマーラーは「悲愴」に限っては凡作としていた。これも、器楽三部作と同じような関係が想像できる。

「第4」の初演で「今の聴衆は標題に毒されている。もっと純音楽的に聞いて欲しい。」と言っていたマーラーが次に書いたのが「純音楽」の「第5」だった。ところがそれまでほぼ表題音楽しか作曲したことのない彼にそう簡単に絶対音楽は書けはしない。そこで彼はこれまでの言葉によるプログラムにかわって尊敬するベートーヴェンの交響曲をプログラムとして取り上げたのではないだろうか。文学や自然による音楽があるなら音楽による音楽があってもいいはずだ。言わばマーラーは言葉のかわりに音楽をプログラムにすることによって純器楽交響曲を作曲しようとしたわけだ。器楽三部作は「第5」はベートーヴェン,「第6」はブルックナー,「第7」はバッハという彼の3大Bへのオマージュだったのだ。

そういえば、角笛三部作もそれぞれベートーヴェン,ブルックナー,バッハに対応するように見えて来る。「第2」はハ短調というベートーヴェンの調性を用い,冒頭はベートーヴェンの「第2」そっくり,そして終楽章に合唱をもって来る構成が「第9」の影響を受けていることはマーラー自身認めている。マーラーにとってブルックナーの「第3番」が特に思い出深い曲であったことは有名で,自然というブルックナー的なテーマを選んだ彼の第3番にニ短調という調性を選んだのは偶然ではないと思われる。マーラーに似合わず豪快な冒頭,アダージョの息の長い盛り上げ方もブルックナー的だ。(あまりにも盛り上がり過ぎて当初予定の第2楽章をフィナーレにしてしまったというのはマーラーらしい。)対位法が初めて本格的に使われた第4番のト長調という調性はあの天国的なブランデンブルク協奏曲第4番を連想させる。しかもこの曲の開始調はロ短調だ。第1楽章の垢抜けないリズム感もバッハ的なものと思えば理解出来るのではないか。ベートーヴェン,ブルックナー,バッハという三人は「暗黒から光明へ」「偉大な自然」「天上の生活」というテーマにそれぞれ最もふさわしい巨匠ではある。

晩年のマーラーが「田園」を指揮したあとで「今日はつくづく感じたね。もの言わぬ自然よりものを言う芸術の方が偉大だと言うことを。」と語ったことをアルマが書き留めている。マーラーにとって、ベートーヴェンやブルックナーやバッハの傑作は、少なくとも鳥の声よりも親しみ深く身近な存在であっただろう。出来た音楽が模倣にとどまらずモデルと全然違ったものになっているのも「第1」や「第3」の言葉による標題と音楽の関係を思わせる。

さて、「第6」に戻ろう。一つの謎が残っている。なぜマーラーは「第6」のフィナーレをあのようにしたのだろうか。これは例外なく輝かしい終結を持つブルックナーとは全く正反対である。最初の奔流のあと一度静まり、長い歩みが始まるというこの楽章の構成は、例えばブルックナーの「第8」のフィナーレに似ていなくもない。だから構成上は最後に一発逆転のコラールで輝かしく終わることも不可能ではなく思える。ところがマーラーの終結は周知の通り、ハンマーの打撃による悲劇である。

これは宗教的体験を常にシンフォニーのテーマとして持っていたブルックナーと、そうでなかったマーラーの違いではなかろうか。この違いが決定的にあらわれているのはアダージョだ。例えばブルックナーの「第8」ではアダージョでの「神の体験」の前と後では同じ「苦悩の道の歩み」でも全然違う。希望と懐疑の交錯する前半に対し、フィナーレは苦悩はあっても足取りは確信に満ちている,とでも言えよう。ところがマーラーの「第6」で前半とフィナーレの「歩み」は質的には何ら変わらない。つまりマーラーのアダージョは極端に言うと単なる間奏曲の役割しかしていないのだ。それをコラールで終えるほどマーラーは自分に嘘つきではなかった、ということではないだろうか。

(98.9.4 書き下ろし)



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