マーラーの第10について

マーラーの第10交響曲について以前から気になっていることがある。冒頭のヴィオラの旋律である。これ,実際にはロ短調だと思うが,マーラーの全作品の中で最も無調に近づいた瞬間ではないだろうか。そう感じるのも当然,まず和声が付いてなくてヴィオラのみ裸だし,二回使われる音が少ないので12音音列のような響きに感じるのである。それにしても,なぜマーラーはここでこのような旋律を書いたのだろう。マーラーという人は,20世紀音楽の先駆のようなことを言われてはいるが,結局のところこの10番でもこの部分を除けば後期ロマン派の調性音楽の範囲内にとどまった作曲家である。

ここで注意すべきなのは,嬰ヘ長調という交響曲の調としては非常に特殊な調性である。シャープが6つも付いていて,おそらくプロでも譜読みが面倒であろうこの調をマーラーがあえて選んだのはなぜなのか。

一つの理由は,第10がアーチ形式の交響曲の系譜(第1,3,5,7,大地)に連なる作品であることだろう。これらの交響曲の主音を並べると,D−D−C#−B−Aとニ長調音階をだんだん下がって来ていることがわかる(第7は開始調だが)。しかし,それなら「大地」がイ調であるから,次のト調でも良かったはず。一つ飛ばしてわざわざ面倒な嬰ヘ調を採用した理由はわからない。

しかし,この冒頭部分の楽譜を見ているとあることに気づく。それはこの交響曲を開始するにあたって,マーラーが「中央」に非常にこだわっているということである。ヴィオラという楽器そのものが弦5部の中央に位置しているわけだが,この旋律の最初の音はC#,すなわち楽譜の上ではハ音譜表の中央に書かれているのである。そして嬰へ音というのもオクターヴのちょうど中央に位置する音である。この「中央へのこだわり」がなにを意味するのかはわからない。ただ,この事実は,この旋律が音楽的な美の追求のみによって書かれたのではなく,なにか隠された意味を持っていることを示すのではないだろうか。

この曲の草稿に,作曲者による謎めいたたくさんの書き込みがあるということも,この推測を裏付けるものだろう。また,長らく離れていた「角笛」歌曲集から、この「第10」で久しぶりに「この世の生活」の引用(?)をし,「プルガトリオ」とタイトルされていること,そして第4・5楽章の「完全に消音した大太鼓」など,何らかの(おそらくはアルマへの)メッセージが込められていることを示唆する材料には事欠かない。

さて,ここで冒頭の旋律に戻るのだが,これにも何らかのメッセージが隠されている可能性は高いだろう。問題はその方法なのであるが,バッハ,シューマンからベルク,ショスタコーヴィチに至る西洋音楽に連綿と存在する,音名=文字の置き換えという技法が使われた可能性がないだろうか。つまり,バッハのBACHやシューマンのASCHやABEGGというやつである。それなら,結果的に十二音風の響きになってしまったことも理解できる。「中央へのこだわり」は暗号解読のための何らかの手がかりなのではないだろうか。

ずいぶん発想が飛躍しすぎていると思われるだろうが,実はマーラーがこの第10に着手する前年の1909年,この伝統ある音名=文字置き換え技法の歴史上画期的な出来事が起こっているのである。それはSIM誌によるハイドン没後100年記念の作品募集である。この企画にはドビュッシーやラヴェルも作品を寄稿したことで知られているが,この募集ではハイドンの名を音名に置き換え,それを作品に使うことが求められた。ところがハイドンはHAYDNだから,YとNは音名にない。そこでSIM誌はABCDEFGが終わったあと,H以降を再び繰り返すことによって,ハイドンの名を音名に置き換えることに成功してしまったのである。
つまりこういうことである。

ABCDEFG
HIJKLMN
OPQRSTU
VWXYZ

できあがった音列は’HADDG’である。Hはこの表ではAと同じ音になるはずなのに,実際はB(シ)の音に読んでいるなど,作曲しやすそうな動機を作るためにかなりこじつけられた方法ではあったのであるが,ともあれこれによって,それまではABCDEFGHまでしか表現できなかった音名=文字置き換え技法が,アルファベット26文字全部にまで拡張されたことになる。

もっとも,マーラーがこのSIM誌の方法をそのまま「第10」に用いたということはありえない。SIMの方法は臨時記号を使わないが,マーラーの第10は臨時記号だらけである。しかし,これにマーラーが刺激されて,交響曲にメッセージを織り込むのに似たような技法をさっそく使うというのはいかにもありそうなこととは思えないだろうか。

(98.10.30書き下ろし)



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