『トゥーランドット』ってどうなってるの?

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オリンピックの荒川静香選手を見て,トゥーランドットで検索して来てくださったみなさんへ。

このページは,荒川選手が使用したプッチーニの作品ではなく,ブゾーニという別の作曲家が作曲した『トゥーランドット』に関するページです。(→本文へ)


とはいえせっかくですのでCDと楽譜の簡単な情報を書いておきます。なお,アマゾンのリンクのみアフィリエイトです。


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・コンピレーション物もあります。


HMVの特集ページ
タワーレコード(@TOWER) の「トゥーランドット」のページ 『トゥーランドット』他,フィギュアスケートで使われた音楽のCDがいろいろ。


オペラ全曲のDVDはこちらで(HMV)。 注意:オペラ全体だと2時間ぐらいあります。

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アカデミア・ミュージック
オリンピックそのままのものはありませんが、Nessun dorma というのを買えば、大体7割ぐらい同じです



(ここから本来のコンテンツ)

 ブゾーニの作品『トゥーランドット』についてのページです。

 『トゥーランドット』はイタリアの作家ゴッツィ Carlo Gozzi (1720-1806) が,ペルシャ起源の説話を元に書いた全5幕の戯曲です。20世紀になって,プッチーニの『トゥーランドット』やプロコフィエフの『3つのオレンジへの恋』で再評価されることになるゴッツィですが,ブゾーニが活躍した当時はほとんど忘れられていました。ブゾーニはそのゴッツィにいち早く目を付けて曲をつけました。ブゾーニはE.T.A.ホフマンの熱心な読者で,自分はホフマンの生まれ変わりだとか言ってたほどなのですが,そのホフマンがゴッツィを非常に高く評価していたのでその影響ではないかと思います。

 さて,ブゾーニは『トゥーランドット』のための音楽を作曲しているのですが,何度もあれこれいじったり追加したりしているので,やたらにいろんな版とか派生した曲とかがあってこれがどうもややこしい。そのあたりが非常にブゾーニ的ではあるのですが,その辺を整理してみたいと思います。


1. 劇付随音楽(1905)

 まず最初の形は,ベートーヴェンの『エグモント』とかメンデルスゾーンの『夏の夜の夢』みたいな劇音楽でした。ブゾーニはこれを,別に誰に頼まれたわけでもなく,上演のあてもなく書いたようです。彼はイタリアでイタリア語で上演しようと思っていたらしいんですが,オペラ全盛のイタリアで,ストレートプレイは人気がなかったため,この版は結局イタリアでは上演されませんでした。

 初演は,作曲から6年もたった1911年10月26日,ベルリンのドイツ劇場で行われました。このときのスタッフは,フォルメラー Karl Vollmoeller の独訳,ラインハルト Max Reinhardt の演出,スターン Ernst Stern の装置,オスカー・フリート指揮ベーゼンドルファー管弦楽団の演奏,エイゾルト Gertrud Eysoldt のトゥーランドットです。ただ,この上演は,フル・オーケストラにこだわって金がかかりすぎたため,興業的には成功せず,すぐに打ち切られました。残念ながらこの版での楽譜は紛失してしまったそうです。なお,この公演をプッチーニも見ていたそうなので,後にこの劇をオペラ化する一つのきっかけとなったことでしょう。

 旋律的素材はほとんどアンブロス Wilhelm A. Ambros の『音楽の歴史 Geschichte der Musik』第1巻に収められた東洋の音楽から取られていました。といっても,この本に純粋な中国の旋律はわずかしか収められておらず,インド,トルコ,ペルシャ,ヌビア(ナイル川と紅海の間の地域。現在のスーダン共和国の一部)などがほとんどでした。

2. 組曲(1905)

 さて,演劇としての上演のあてがないのは最初からわかっていたので,ブゾーニは8曲からなる演奏会用組曲を作ります。劇音楽の完成が1905年の6月,組曲が8月です。組曲の初演は同年10月21日,ベルリンのベートーヴェンザールで,作曲者指揮ベルリン・フィルによる演奏でした。編成は標準的な3管編成に任意で女声合唱(ユニゾン)が加わります。

8曲は次の通り。

 I. 処刑,城門,別れ
 II. トルファルディーノ
 III. アルトゥム
 IV. トゥーランドット
 V. 女たちの部屋
 VI. 踊りと歌(女声合唱付き)
 VII. 夜のワルツ
 VIII. 葬送行進曲風に−トルコ風のフィナーレ

全8曲の録音としてはギーレンとサミュエル・ウォンのものがあります。

3. ピアノのためのエレジー第4番,第5番(1907)

 当初ラインハルトは『トゥーランドット』の初日を1907年の大晦日に予定していました。実際は1911年までずれ込むわけですが,ともあれ出版社はブゾーニに,リハーサル用のピアノ編曲を作るよう依頼します。ところがブゾーニはそういう機械的な仕事が大嫌いだったので,シンプルな『トゥーランドット』の音楽からヴィルトゥオーゾ的なピアノ曲を作ってしまいました。それがこの2曲のエレジーです。「女たちの部屋」から編曲された第4番はまだ原曲に近いですが,「夜のワルツ」による第5番は,前年発表した『新音楽美学』で発表した新しい音階を取り入れた自由な幻想曲となっています。録音は多数あり。

4.『絶望と忍従』(1911)

 1911年の上演の直前になって,ラインハルトの求めにより,ブゾーニは戯曲の第4幕と第5幕の間に置く間奏曲を書きました。これはカラフの謎にトゥーランドットが答える前の場面で,小品ながら,それまでの場面の音楽を引用するなかなかの傑作です。現在では組曲のVIIとVIIIの間に置かれることが多いようです。ギーレンとアルブレヒトが録音しています。

5. 劇付随音楽(ロンドン上演版)(1913)

 初演以後,ブゾーニの劇音楽を使って『トゥーランドット』が再演されたのは1回だけでした。この上演は,1913年,ロンドンの St.James's Theatre での Sir George Alexander によるものです。ところがこの時は,ブゾーニに無断でヴィースマン Johan Wijsman(ピアノのための『子守歌』を献呈された人)が劇場の小編成のオーケストラのために編曲した上,リムスキィ=コルサコフやサン=サーンスの曲(具体的にはわかりませんがたぶん「インドの歌」や「バッカナール」でしょう)まで加えての上演でした。ブゾーニは初日の幕が開くまでそれを知らず,舞台を見て激怒,第2幕の終わった後帰ってしまいました。

 この版の楽譜は作曲家のスウェイン Giles Swayne という人が最近バーミンガムの古書店で発見したそうで,これが劇音楽版の現存する唯一の楽譜ということになります。録音はたぶんありません。

6. オペラ(チューリヒ版)(1916-7)

 1916年にオペラ第2作『アルレッキーノ』を完成していたブゾーニは,ベルリンでの初演をラインハルトに打診しますが,当時は戦争中ということで実現不可能,チューリヒの国立劇場に話を持って行きます。ところが上演するのはいいが『アルレッキーノ』は一晩の演目としては短すぎるということで,何か一緒に上演する作品が必要ということになりました。そこでブゾーニはすぐに『トゥーランドット』のオペラ化を提案します。実はこれは1913年のロンドンでの上演を観て激怒して以来の懸案でした。

 オペラの音楽には組曲のほとんどが転用されていますが,もちろんある程度の手は加えられています。 また,当時は戦時中,しかも映画の台頭によって昔のようなぜいたくな上演はできなくなっていたので,2管編成に編曲されています。例えば最初のシーンは組曲第1曲を使っていますが,序奏の部分は短縮,バラクの語りが新しく作曲されています。カラフがトゥーランドットの絵を見るアリオーソは,劇音楽のうち組曲に取り入れられなかった部分からの流用です。新しく作曲された部分で重要な曲としては,アルトゥムのアリア 'Konfutse, dir hab'ich geschworen(「孔子さま,あなたに誓います」)' があります。これは後に独立した曲として出版されました。また,組曲第4曲「トゥーランドットの行進曲」はほとんど新しく作曲しなおされ,一方3つの謎の部分は劇音楽からそのまま流用されました。

 第2幕は組曲第5曲「女たちの部屋」ですが,どちらかと言えばエレジー第4番に近い形です。その後に続くのが組曲第6曲「踊りと歌」で,これはヤルナッハがオーケストレーションし直したものがそのまま使われています。その後のトゥーランドットのアリアは組曲第7曲「夜のワルツ」,アルトゥムのアリオーソはフルートとピアノのための『アルバムの一頁』(1916)を編曲したものという具合です。

7.『アルトゥムの警告』(1917)

 上に書いたように,オペラではフルート(または弱音器付きヴァイオリン)とピアノのための『アルバムの一頁』が編曲されて,アルトゥムのアリオーソとして使われています。ブゾーニは, 組曲第8曲の前半「葬送行進曲風に」の部分を,このアリオーソに差し替えた版 を作っています。フルートはトランペットに置き換えられ,「トルコ風のフィナーレ」への新しい経過部が書かれました。 1921年1月13日,ブゾーニの第2回回顧演奏会において,作曲者指揮ベルリン・フィルは,組曲の中から第4,6,8曲を演奏したのですが,その際第8曲としてこの版が用いられ,初演となりました。初演時と全く同じ選曲によるホーレンシュタインの録音が残っています。また原曲の『アルバムの一頁』もフルートと弱音器付きヴァイオリンの2種類の演奏で聴くことができます。

8.『アルトゥムの祈り』(1919)

 これはオペラのために新しく書かれたアルトゥムのアリアを独立した曲としたものです。後に『ファウスト博士』に使われる,ゲーテの『ファウスト』のメフィストフェレスの歌「昔王がいて」(蚤の歌)とともに作品49としてまとめられました。

9. オペラ(ベルリン版)(1921)

 1921-22年のシーズンにベルリンの国立歌劇場が『トゥーランドット』と『アルレッキーノ』を新しいプロダクションで上演します。この時ブゾーニは,初演時は地のセリフになっていた,第2幕フィナーレの前,トゥーランドットがカラフの名前を告げる場面('Diese zeichen von Trauer ...'からフィナーレ直前まで)に音楽を新しく付けます。この部分はまだ出版されていませんが,アルブレヒトの録音で聴くことができます。

 なお,1921年5月21日のキャスト表が手元にありますので参考までに書いておきます。但し,'Diese zeichen von Trauer' の部分が完成されたのは同年6月22日ですから,この時はまだ初演のときの形態で上演されたものと思われます。

Musikalische Leitung: General-Musik-Direktor Leo Blech
In Szene gesetzt von Frantz Ludwig Hoerth

Altoum, Kaiser ...Otto Helgers
Turandot, seine Tochter ... Lola Artot de Padilla
Adelma, ihre Vertraute ... Margarete Arndt-Ober
Kalaf ... Robert Hutt
Barak, sein Getreuer ... Eduard Habich
Die Koniginmutter von Samarkand, eine Mohrin ... Genia Guszalewicz
Truffaldino, Haupt der Eunuchen ... Waldemar Henke
Pantalone, Minister ... Herbert Stock
Tartaglia, Minisiter ... Desider Zador
8 Doktoren ...Fritz Schroeder, Louis Kinder, Max Forkert, Walter Kopsch, Franz Schmeling, Paul Senftleben, Ludwig Vorbrodt, Ernst Wickelbach
Eine Vorsaengerin ... Marg. Jaeger - Weigert
Der Scharfrichter ... Friedrich Luecke

Birmanischer Tanz in 3.Bild: einstudiert von Alex Hoffman

表紙
その時劇場で売られていた『トゥーランドット/アルレッキーノ』解説冊子。


Lola Artot de Padilla トゥーランドット役の Lola Artot de Padilla 。


Margarete Arndt-Ober アデルマ役,Margarete Arndt-Ober。


Robert Hutt カラフの Robert Hutt。




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