最終更新日 1999.7.22
年 | 生涯の主な出来事 | その他の出来事 |
1866
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4月1日 フィレンツェに近い Empoli に 生まれる。フルネームは Ferruccio Dante Michelangelo Benvenuto Busoni。父 Ferdinando はイタリア人でクラリネットの名手,母 Anna=Weiss はドイツ人。
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スメタナ『売られた花嫁』初演。ドストエフスキィ『罪と罰』。プロイセン・オーストリア戦争。ロマン・ロラン生。
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1873
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作曲をはじめる。トリエステではじめてピアニストとして聴衆の前で演奏。
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レーガー生。ブラームス『ハイドン変奏曲』ナポレオン三世没。カルーソー生。アメリカ大恐慌。
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1875
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ウィーンに移る。音楽院に入学。
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ビゼー『カルメン』。同没。パリ・オペラ座開場。
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1877
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リストの演奏を聴き,彼に紹介される。
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ブラームス『交響曲第1番,第2番』初演。ブルックナー『交響曲第3番』。蓄音機発明。
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1878
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グラーツ,続いてクラーゲンフルトに移る。
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ムソルグスキィ『禿山の一夜』。ゴーリキー生。
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1879
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グラーツでマイヤー=レミ Wilhelm Mayer-Remy に作曲を学ぶ。この頃までに神童として50-60回のコンサートを行っていた。
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ブラームス『ヴァイオリン協奏曲』,チャイコフスキィ『エフゲーニ・オネーギン』初演。レスピーギ生。
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1881
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グラーツでの勉強を終える。アカデミア・フィラルモニカ・ディ・ボローニャから作曲とピアノ演奏のディプロマを授与される。
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ムソルグスキィ没。ブラームス『悲劇的序曲』『大学祝典序曲』初演。バルトーク生。
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1882
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ピアノのための『幻想的物語』。
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ストラヴィンスキィ生。ヴァーグナー『パルシファル』。
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1883
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アリーゴ・ボイトに励まされ,Leopardi による大規模なカンタータ 'Il Sabato del Vilaggio' がボローニャで初演。ウィーンに戻る。『交響組曲』。
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ヴァーグナー没。ブラームス『交響曲第3番』初演。ブルックナー『交響曲第7番』完成。メトロポリタン歌劇場開場。
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1884
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『バイロンによる二つの歌曲』『弦楽四重奏曲第1番』『ショパンの主題による変奏曲とフーガ』。
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マスネ『マノン』。ロダン『考える人』。
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1885
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ライプツィヒとベルリンをはじめて訪れる。
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ブラームス『交響曲第4番』。ベルク生。
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1886
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オペラ'Sigune'に着手。ライプツィヒに住む。コンサート・ピアニストとしての活動広がる。イタリア演奏旅行の途中,モーツァルト以来最も若い音楽家としてボローニャの Philharmonic Academy の会員資格を与えられる。
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フルトヴェングラー生。リスト没。サン=サーンス『交響曲第3番』
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1887
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『弦楽四重奏曲第2番』Op.26。
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ヴェルディ『オテロ』。
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1888
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ヘルシンキ音楽院のピアノ教授の地位を得る(1890まで)。シベリウスと親交を結ぶ。バッハのピアノ用編曲をはじめる。
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マーラー『交響曲第1番』,チャイコフスキィ『交響曲第5番』。
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1889
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『ヴァイオリンソナタ第1番』。『ピアノとオーケストラのためのコンツェルトシュトゥック』Op.31a 着手。
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ヴォルフ『イタリア歌曲集』,マーラー『交響曲第1番』。
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1890
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モスクワで Gerda Sjoestrand と結婚。ルビンシテイン作曲賞とモスクワ音楽院の教職を得る。
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フランク没。R.シュトラウス『死と変容』。第一回メーデー。
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1891
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ボストンに移り,ニューイングランド音楽院で教える。
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マーラー,ハンブルク市立劇場指揮者。プロコフィエフ生。
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1892
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長男ベンヴェヌート誕生。教職を辞し,ニューヨークに移る。
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ブルックナー『交響曲第8番』。シベリウス『クレルヴォ交響曲』。ドヴォルザーク,ニューヨークの National Conservatory の院長として迎えられる(1895まで)。
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1893
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『交響的音詩』Op.32b.
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チャイコフスキィ『交響曲第6番・悲愴』,同没。ヴェルディ『ファルスタッフ』。
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1894
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ヨーロッパに戻り,ベルリンに住む。主にヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして活動。ハンブルクでマーラーと共演。
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ビューロー没。マーラー『交響曲第2番』,ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』,ドヴォルザーク『新世界より』。ドレフュス事件。
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1895
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『ピアノ作品集Op.33b』。
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ヒンデミット生。R.シュトラウス『ティル。オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』。
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1896
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『ヴァイオリン協奏曲』着手。
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ブルックナー没。R.シュトラウス『ツァラトゥストラはこう語った』,シベリウス『レミンカイネン組曲』,プッチーニ『ラ・ボエーム』。
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1897
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『ヴァイオリン協奏曲』完成。『喜劇序曲』。
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ブラームス没。R.シュトラウス『ドン・キホーテ』。
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1898
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『ヴァイオリンソナタ第2番』着手。
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フォーレ『ペレアスとメリザンド』,R.シュトラウス『英雄の生涯』,ヴェルディ『聖歌四篇』。マラルメ没。ガーシュウィン生。
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1899
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プーランク生。ショーソン没。シベリウス『交響曲第1番』『フィンランディア』,シェーンベルク『浄められた夜』。
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1900
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第二子ラファエロ Raffaello (後に画家)誕生。ヴァイマールでマスタークラス(翌夏も)。ヴァイオリンソナタ第2番完成。
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ニーチェ没。マーラー『交響曲第4番』,プッチーニ『トスカ』。フロイト『夢判断』
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1901
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『ピアノ協奏曲』着手。
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ヴェルディ没。ドビュッシー『夜想曲』。シベリウス『交響曲第2番』。
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1902
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ベルリンで現代作品のコンサート・シリーズの第1回を指揮(1909年まで全12回)。
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マーラー,アルマと結婚,『交響曲第5番』。ドビュッシー『ペレアスとメリザンド』。
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1903
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ヴォルフ没。シェーンベルク『ペレアスとメリザンド』。シベリウス『ヴァイオリン協奏曲』。
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1904
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初のアメリカ・コンサート・ツアー。『ピアノ協奏曲』完成。
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ドヴォルザーク,ハンスリック没。マーラー『交響曲第6番』,プッチーニ『蝶々夫人』,ヤナーチェク『イェヌーファ』。
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1905
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『トゥーランドット』組曲を作曲,現代音楽演奏会第7回において自らの指揮で初演。
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R.シュトラウス『サロメ』初演。マーラー『交響曲第7番』,ドビュッシー『海』,ラヴェル『鏡』。
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1906
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『新音楽美学覚え書』完成。ウィーンでピアノのマスタークラス。『嫁えらび』着手。
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グリーク没。マーラー『交響曲第8番』。シェーンベルク『弦楽四重奏曲第1番』『室内交響曲』。ショスタコーヴィチ生。
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1907
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ピアノのためのエレジー集作曲。新しい作曲技術について関心を深める。
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シベリウス『交響曲第3番』。マーラー渡米。
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1908
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『悲歌集』作曲。
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『ボリス・ゴドゥノフ』パリ初演。R=コルサコフ没。メシアン,カラヤン生。
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1909
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両親が死去。『悲歌的子守歌』作曲。
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ディーリアス『人生のミサ』。シェーンベルク『三つの小品』『期待』。スクリャービン『法悦の詩』,R.シュトラウス『エレクトラ』。
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1910
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アメリカに大演奏旅行。『対位法的幻想曲』作曲。バーゼルでマスタークラス。ここで『ファウスト博士』台本の前半を書く。
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R=コルサコフ『金鶏』初演,ストラヴィンスキィ『火の鳥』。トルストイ没。
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1911
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マーラー,生涯最後の演奏会で『悲歌的子守歌』を指揮(Feb.21)。M.ラインハルト,ベルリンのドイツ劇場でゴッツィの『トゥーランドット』をブゾーニの音楽で上演。『嫁えらび』完成。
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マーラー没。ラヴェル『高雅で感傷的な円舞曲』,ストラヴィンスキィ『ペトルーシュカ』。シベリウス『交響曲第4番』,R.シュトラウス『ばらの騎士』。
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1912
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『嫁えらび』初演。『ソナチネ第2番』作曲。未来主義者たちと知り合い,シェーンベルクと友情を深める。
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マーラー『交響曲第9番』初演,ドビュッシー『遊戯』,ラヴェル『ダフニスとクロエ』。
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1913
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ボローニャの Liceo Musicale の学長に任命される。『交響的夜曲』。
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ストラヴィンスキィ『春の祭典』。ブリテン生。プルースト『スワン家の方へ』。
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1914
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ベルリンに戻る。自作の演奏会を4回指揮。『アルレッキーノ』の台本を書き,クリスマスに『ファウスト博士』台本を完成。
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第一次世界大戦勃発。
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1915
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ニューヨークに住むが,結局ヨーロッパに戻り,戦火を避けてチューリヒに移る。『インディアン日誌』『アルレッキーノのロンド』。
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スクリャービン没。ファリャ『恋は魔術師』。シベリウス『交響曲第5番』。 フロイト『精神分析学』アインシュタイン『一般相対性理論』。
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1916
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『アルレッキーノ』を完成。『ファウスト博士』の作曲に着手。
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グラナードス没。プロコフィエフ『スキタイ組曲』初演。
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1917
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『トゥーランドット』『アルレッキーノ』初演。バッハ=ブゾーニ版全集完成。『バッハの 'Wie wohl ist mir'による即興 』
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バルトーク『青髭公の城』,ドビュッシー『ヴァイオリンソナタ』,プロコフィエフ『古典交響曲』。ロシア革命。
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1918
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『アルレッキーノII』台本完成。『クラリネットと小オーケストラのためのコンチェルティーノ』『ソナチネ第5番』。
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ドビュッシー没。ストラヴィンスキィ『兵士の物語』。第一次大戦終わる。
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1919
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チューリヒ大学の Doctor h.c. に選ばれる。長い英国逗留によりチューリヒでの避難生活を終える。『短いソナチネ』『サラバンドとコルテージュ』。
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ラヴェル『ラ・ヴァルス』,プロコフィエフ『三つのオレンジへの恋』。ムッソリーニ,ファシスト党結成。
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1920
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ベルリンに戻る。『カルメン幻想曲』『フルートとオーケストラのためのディヴェルティメント』『ダンス・ワルツ』。
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ストラヴィンスキィ『プルチネッラ』初演。
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1921
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回顧演奏会を3回指揮。Musikblaetter des Anbruch のブゾーニ特集号。プロシア芸術アカデミーの援助による作曲クラスを開く。ベルリン国立歌劇場で『トゥーランドット』『アルレッキーノ』の新プロダクション。重い病気の最初の兆候。『対位法的幻想曲(2台ピアノ用)』。
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サン=サーンス,カルーソー没。プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第3番』
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1922
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ピアニストとしての最後の出演。『常動曲』『ショパンの主題による10の変奏』
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ストラヴィンスキィ『きつね』。ソ連成立。ムッソリーニ,内閣を組織。
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1923
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パリとヴァイマールへ旅行。病気はさらに進行。『アルペッジョによる前奏曲と練習曲』
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シベリウス『交響曲第6番』,プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第5番』,イベール『寄港地』。関東大震災。
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1924
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『ピアノ練習曲』全10巻。7月27日ベルリンにて死去。
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プッチーニ,フォーレ没。シベリウス『交響曲第7番』,プロコフィエフ『交響曲第2番』。マーラー『交響曲第10番』からの二つの楽章初演。
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1925
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ドレスデンで『ファウスト博士』初演。プロシア・アカデミーの作曲教授に,ブゾーニの後任としてシェーンベルクが就任。
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シベリウス『タピオラ』。
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