今春にBMGから出たムラヴィンスキーの未発表録音集はいずれも興味深かったが、一番の目玉のショスタコーヴィチの5番について書く。なにが貴重かと言って、これは初演(1937年11月)から間もない演奏であるというのがすごい。しかも昔から存在が知られていたSP録音(1938年3〜4月)とは別録音(1938年暮れ〜1939年初頭)で、SPの方も特典盤ながら今回CD化というのはうれしい。ムラヴィンスキーの第5というと、この後は1954年まで録音がないから、一気に演奏史の空白が埋まった感がある。 音質は、今回のCD8枚のうちで一番古いので、さすがに持続性ノイズはあるし、フォルテでは歪むが、予想していたほどひどくはなかった。光学式フィルムに記録されていたためか、昔のソ連映画の音声のような感じ。 演奏だが、まず驚いたのが、フィナーレの第284小節。よく知られているように、楽譜には「ラシドシドミ(F-G-Ab-G-Ab-C)」と書かれているにもかかわらず、ムラヴィンスキーはここを後年に至るまで一貫して「ラシドシラド(F-G-Ab-G-F-Ab)」と演奏している。そして、この初演直後の録音でもそうなのである。同時期のSP録音の方は、まだ特典盤が送られて来ないのでわからないが、自分の作品のリハーサルにはまめに出ていって、相手がどんな大演奏家であろうが細かくダメ出ししていたショスタコーヴィチが、ここだけは楽譜と違う演奏を許していたとしたら不思議なことである。 実は、この曲の早い時期の録音としては、1939年4月のストコフスキー/フィラデルフィアo. というのがある。戦前の録音はムラヴィンスキーの2種とこれだけで、この次は1940年代末のクーセヴィツキィになる。そして、なんとこのストコフスキーもムラヴィンスキーと同じやり方で演奏しているのである! ということは、これはムラヴィンスキィが勝手に音符を変えたわけでなく、初演当時の楽譜では「ラシドシラド」となっていて、後に「ラシドシドミ」に改訂されたのに、ムラヴィンスキーだけは最初の形の方がいいと固執したのではないだろうか。 ちなみに私の手持ちの楽譜では、EULENBURG も BOOSEY & HAWKS も「ラシドシドミ(F-G-Ab-G-Ab-C)」。サンクトペテルスブルクの図書館で初演当時の出版譜を見れば裏づけられるかもしれない。 このストコフスキーの録音は Pearl から復刻されていて(GEMM CDS9044)まだ入手できるはずだ。ストコフスキーには他にエヴェレストのスタジオ録音と、BBC Radio Classsics から出たロンドン響とのライヴ盤があるが、いずれも「ラシドシドミ」である。また、1950年代のムラヴィンスキィ以外の録音、レニングラード・フィルの他の指揮者との録音など、確かめられる他の録音はすべて「ラシドシドミ」であった。つまり「ラシドシラド」を採用しているのはムラヴィンスキィ以外ではストコフスキィの第一回録音のみなのである。 演奏自体は、後年の演奏とはかなりコンセプトの違う部分があった。例えば第1楽章の展開部で盛り上がりが頂点に達する練習番号27(188小節)は Poco sostenuto の指示を無視して煽るし、 フィナーレも、最初から速いテンポを取ってそれを維持する後年のスタイルと違い、楽章冒頭は比較的遅めにはじめて、練習番号108(83小節)あたりから相当激しくアッチェレランドをかけている。 アンサンブルの精度は後年の演奏にくらべるとだいぶ劣る。縦の線が合ってないところが随所にあるし、弦のピッチも揃っていない感じだ。さすがのムラヴィンスキーもやはり30代ではまだ後年ほどニラミが効かなかったということだろうか。(Nifty の FCLA に書いたものを改稿。98.9.4)
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