ショスタコーヴィチの『死者の歌』とマーラー

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1. 序

 ショスタコーヴィチの交響曲第14番『死者の歌』は,11の詩が2人の歌手によって歌われる作品だ。 作曲者晩年の傑作として高く評価されているが,その内容については,「死」についての思索という以上のことはほとんど語られていないように思う。 歌詞のほとんどが「死」と関連を持っているという一見単純そうな外見,しかもスターリン時代ほど締め付けのきつくない時代の作品であるせいか,第5などに比べれば,内容については特に説明の必要ない明白な作品という扱いをされているのではないだろうか。

 しかし,例えば「死」に関係する詩と言っても,11の楽章における11の詩,それぞれの扱い方は全て違うわけである。作曲者がそのような11の詩を選んだのはなぜか,そして何を基準にこのように並べたのか,ということになるとそう簡単に答えられる問題ではない。以下ではこのような問題について,特にマーラーとの関わりに着目して考察してみたい。

2. 『死者の歌』と『ミケランジェロ組曲』

 ショスタコーヴィチの『死者の歌』には11の楽章がある。 これらの楽章は漫然と並べられているわけではなく,一つの交響曲として全体を統一する秩序をもって構成されている。 例えば,アタッカで接続されている楽章があったり,終曲の前の第10楽章で冒頭主題が回帰することなどは,作曲者が全体の構成にもかなり注意を払っていたことを示している。 この11という楽章数は,ショスタコーヴィチの第13番までの交響曲がすべて5楽章以内で書かれていることを考えると破格だ。しかし一般には,つまり,ショスタコーヴィチの選んだ詩が偶然11編であったから11楽章になった程度に考えられているのではないだろうか。

 ところで,ショスタコーヴィチには『死者の歌』とそっくりな構成を持つ作品がもう一つある。この曲の5年後に書かれた『ミケランジェロの詩による組曲』作品145である。 『死者の歌』と『組曲』は,全11楽章であること,歌詞がロシア以外の詩の翻訳であることなど,一見してわかる共通点も多いのだが,実はかなり細部まで一致している。

 ソ連の音楽学者V.ワシナ=グロスマンが『ミケランジェロ組曲』の構成について次のように分析している。 (Vasina=Grossman,V., 'Shostakovich', Mastera Sovetskogo Romansa, 2-izd, 1980 Moskva, p.254, 但し一柳富美子「新たな発見をまつその実像−声楽作品を中心に−」,『音楽芸術』1988年9月号, p.39 から孫引き)

第1曲[プロローグ]
第2,3,4曲[愛]
第5,6,7曲[憎]
第8,9曲[創造]
第10曲[プロローグの反復]
第11曲[エピローグ]

 一方,『死者の歌』の11の楽章の中にはアタッカで切れ目なしに演奏される楽章と,楽章間に休止が置かれる楽章とがある。そしてこの,切れ目なしに演奏される楽章というのが,まさに第2,3,4楽章,第5,6,7楽章であり,第8,9楽章なのである。おそらくワシナ=グロスマンはこの一致に気付かずにグループ分けをしたと思われるから,この一致はワシナ=グロスマンの分析の正当性と,両曲の構成の一致の重要性を同時に証明していると言える。さらに,両曲とも第10楽章で冒頭主題が回帰すること,第11楽章が他の楽章に比べて短く,唐突に断ち切られるように全曲が終わることも見逃せない。

 『組曲』が『死者の歌』の構成を踏襲したと考えるにせよ,同じ構成原理で二つの作品が作曲されたと考えるにせよ,この二つの作品の共有する特殊な構成が偶然でないことはこれで明らかである。とりあえず『組曲』の11という楽章数は偶然ではありえない。ではいったい,この11の楽章の構成は何を意味しているのであろうか。

3. マーラーの交響曲

 実は,11という数を持ち,『死者の歌』及び『ミケランジェロ組曲』と非常に高い一致を示すシリーズがある。マーラーの交響曲である。ショスタコーヴィチがマーラーの音楽を非常に愛していたことはよく知られているが,マーラーの交響曲の数は,『大地の歌』と未完の第10を含めれば11曲である。

 そして,マーラーの交響曲の第2,3,4番は『角笛』三部作,第5,6,7番は器楽三部作として一連のものとされている。また,マーラーの10番目の交響曲にあたる第9番は,いろいろな面で,第1番に回帰した作品と見なすことができる。 器楽のみの4楽章の交響曲であることはもちろん,両曲がいずれもニ長調であり,いくつかの重要な素材にも共通性がある(「ソーファミソーファー」「ラシドシラ」などの動機,そして地の底から沸き上がるようなファンファーレ)ことを考えるとこれは自然な捉え方である。

 さらに加えて『組曲』の第10楽章「死」には「タータター」という音型が現れる。 この動機をショスタコーヴィチは晩年しばしば自作(弦楽四重奏曲第15番,ヴィオラソナタ)に使っており,一般にはベートーヴェンの『月光』ソナタの第1楽章からの引用とされている。これはまさに「死」を象徴していると言われるが,これはまたマーラーの『交響曲第9番』冒頭の音型でもある。

そしてその後の『組曲』の終曲「不死」はなんと嬰ヘ長調,つまりマーラーの遺作『交響曲第10番』と同じ調性で書かれているのだ。ハ長調やニ長調ならともかく,嬰ヘ長調(変ト長調でさえない)などという珍しい調性がここに出てくることは偶然とは考えにくい。 『死者の歌』『ミケランジェロ組曲』両曲の終楽章が,他の楽章に比べて非常に短く,また唐突に終わることは,マーラーの『第10』の第1楽章アダージョに対応すると考えると納得できる。 デリック・クックのおかげで,我々はマーラーの第10番を彼の他の交響曲に劣らない規模を持つ5楽章の作品として知っているが,クック版が一般的になる以前は,マーラーの完成したアダージョだけを第10として演奏することが一般的であった。 そうするとこの楽章を,マーラーの交響曲群を締めくくる短く謎めいたエピローグとして捉えることができる。 ショスタコーヴィチがマーラー未亡人から「第10」の完成を依頼されながら,それを断っていることはよく知られた事実である。

 以上のように,ショスタコーヴィチは『死者の歌』と『ミケランジェロ組曲』の11の楽章を,マーラーの11の交響曲に対応するものとして作曲したと考えられる。 とはいえ,それぞれ単一の楽章が,マーラーのそれぞれの曲とどれほど対応しているかはまだ議論の余地がある。例えば『死者の歌』の第1楽章とマーラーの『巨人』に何らかの共通点があるかと考えても,現在のところ,こじつけの域を出ることは難しい。これはショスタコーヴィチがマーラーの各曲をどのように理解していたかがわからなければあまり確実なことは言えない。ソレルチンスキイの著作などが手がかりになるかもしれないが,今後の課題である。

4. 『死者の歌』と『大地の歌』

 さて,ここで議論を『死者の歌』に絞ろう。この曲についてショスタコーヴィチは,リハーサルの前に次のようなことを述べている。

「わたしはその作品の中で死のテーマをあつかっている大芸術家たちといくらか論争してみたいのである。……たとえばボリース・ゴドゥノフの死を思いうかべてみよう。ボリース・ゴドゥノーフが死に瀕したとき,何か平静なものが訪れる。ヴェルディの「オセロ」をみてみると,すべての劇が終わりをつげ,デズデモーナもオセロも死んでしまったときにも,美しい安らかな音楽がひびきわたる。また「アイーダ」を思いだしてみると,主人公たちの悲劇的な死がおとずれるときには,明るい音楽が静かに鳴りわたる。こういったことはみな,わたしには,その生涯がいわばよくなかったとしても,人が死ぬときにはすべてよく,彼岸にはまったき平静さが待ちうけているのだとするさまざまな宗教から来ているような気がする。だから,ロシアの偉大な作曲家ムソルグスキーのひそみにならって,わたしも歩をすすめてみたいのである。たとえば,彼の声楽曲集「死の歌と踊り」はたぶん,また全部ではないにしても「司令官」は,死に対する大きなプロテストであり,自分の生涯を誠実に,高雅に,清潔におくらなければならぬとする警告であると思う。……なぜならば,ああ,学者たちは,まだこれほど早く不死にまでは考えおよばないから。しかし死はわれわれを待ちうけている,例外なくすべての人を。われわれの生涯のこういう結末に,わたしはかくべついいものを見ない。このことについてこの作品で語ってみたいと思う。」(『ショスタコーヴィチ自伝』,p.429-430, 1983 ラドガ社)

  ここで彼は「平安としての死」を提示するムソルグスキイの『ボリース・ゴドゥノーフ』,ヴェルディの『オテロ』『アイーダ』に反対し,『死の歌と踊り』に共感を表明している。なお,これと同じようなコメントはいくつかの本に収載されており,彼が引き合いに出す音楽作品は出典によりやや異同がある。D.&L.ソレルチンスキー『ショスタコーヴィチの生涯』によると,『アイーダ』の次にショスタコーヴィチは,この交響曲が献呈されたベンジャミン・ブリテンの『戦争レクイエム』に言及している。参考までに『ショスタコーヴィチの証言』にはさらに『スペードの女王』と『死と浄化』が引き合いに出されている。

 しかしここに,真っ先に出てきそうな一つの作品が全く言及されていないことにお気づきだろうか。 マーラーの「大地の歌」である。 マーラーはショスタコーヴィチが最も敬愛していた作曲家であるとともに,常に「死」を意識していた作曲家である。彼は『戦争レクイエム』を「『大地の歌』に匹敵する作品である」(グリークマン宛1963年8月1日付書簡。Glikman, I., Letters to a Friend, p.190. 但し Wilson, E., Shostakovich - A Life Remembered, p.401 による。) とさえ書いている。 そして『大地の歌』の終楽章が歌うのは,まさに(逃避,平安としての)「死」なのである。 なぜ彼はマーラーの『大地の歌』への反対意見を述べていないのだろうか。

 そもそも『死者の歌』に『大地の歌』との共通点が多いことは以前から指摘されている。 オーケストラ伴奏付き歌曲集のような構成でありながら交響曲の名が与えられていること,外国の詩の翻訳が男女二人の歌手によって歌われることはまったく同じだ。これでショスタコーヴィチが『死者の歌』を作曲するとき『大地の歌』を全く意識しなかったと考えるのは不自然である。

 ショスタコーヴィチは,マーラーの交響曲の中でも『大地の歌』を特に愛好していたらしい。若い頃の作品『日本の詩による6つの歌曲』にはその直接的な影響がはっきり見られる。また,彼の作品の中でマーラーの影響が最も直接的に反映しているとされる『交響曲第4番』は,まさに『大地の歌』を想起させる響きのうちに全曲を閉じる。

 『死者の歌』の独唱者に,『大地の歌』とちょうど逆のソプラノとバスが選ばれているのは象徴的である。『死者の歌』は『大地の歌』の陰画なのである。 これはおそらく,彼が『死者の歌』で最も強く否定しようとしたのは『オテロ』でも『戦争レクイエム』でもなく,まさに『大地の歌』だったからであろう。ショスタコーヴィチは,最も大事なものを敢えて言わなかったのである。ではいったいショスタコーヴィチは『大地の歌』のなにに反対しようとしたのか。

5. 『死者の歌』の中の『大地の歌』

 ここで謎を解く鍵になるのがヴィリゲルム・キュヘリベケルの詩による第9楽章「おお,デルウィーク,デルウィーク」である。上述の通り,『死者の歌』の構成は,マーラーの11の交響曲に対応しているわけだから,第9番めにあたるこの楽章は,『大地の歌』に相当することになる。つまりこの楽章は,全体として『大地の歌』が意識された『死者の歌』の中で,さらに別の種類の関係で『大地の歌』に関係しているわけである。

 あらためてこの楽章の詩の内容を見ると,奇妙なことに気付く。この楽章は,無調的な響きが支配するこの交響曲の中では異質なほど歌謡的なメロディに乗せて,バス歌手が「不死の命を持つのだ/雄々しい気高い事業も,/やさしい歌の響きも。」(ウサミ・ナオキ訳)というキュヘルベケルの詩を歌う。つまり,自分は死んでも芸術は不滅だ,というのだ。これは,前章で引いた作曲者の言葉と矛盾していないだろうか。この交響曲は,過去の大作曲家たちの「平安としての死」という思想への反論として書かれたものではなかったのか。ショスタコーヴィチの自作へのコメントは嘘だったのか。

 嘘ではない。ロマンティックな第9楽章が終わると,その前世紀的な「人は死んでも芸術は不滅である」という思想に冷や水を浴びせるように弦が全曲冒頭の旋律を奏でる。 第10楽章のリルケの詩はこのような内容である。「詩人は死んでいた。その顔は・・・かつて世界の全てを知っていた。しかしその知識は薄れ消えてゆき,日々の無関心さに戻っていった。」「いま彼にのび,むなしくまといつくあのひろがりが彼の顔だった。」 つまり作曲者は,第9楽章で朗々と歌った芸術による不滅の生命を,直後の第10楽章で冷徹に否定するのである。どちらが作曲者の意見かは言うまでもない。 いわば作曲者は第9楽章で「芸術による死後の生命という慰藉」という考え方を一種の(『大地の歌』からの)「引用」として提示し,それを次の第10楽章で否定しているのだ。 第9楽章の全曲の中での異質さも,どこか不安げな弦の伴奏も,「引用」であるがためだ。

 上のように考えれば,『大地の歌』への反対意見表明としての『死者の歌』の性格ははっきりする。この交響曲は『大地の歌』に代表される過去の音楽作品が称えてきた,「死後の生命という安息」を否定し,死はその後に何も無い終わりであるということを主張するものなのである。これは作曲者のコメントと一致する。

 マーラー自身,『大地の歌』での美化された彼岸を『第9』ではリアルに見つめ,自ら前作を否定した,と考えられなくもない。マーラーが実際そう考えていたかどうかはわからないが,ショスタコーヴィチがそう理解し,それを『第14』にそのまま取り込んだということはありうるのではないか。つまり『死者の歌』はショスタコーヴィチのマーラー観の表明でもあるのだ。その意味では『組曲』で同じ11楽章構成を採用したのは,5年間に変化したマーラー観を再び表現するためでもあったと思われる。 想像をたくましくすれば,『死者の歌』の時点で,ショスタコーヴィチはマーラーのすべての交響曲は「死」をテーマにしていると考えており,それでこの交響曲がこのような姿になったのかもしれない。

6. ショスタコーヴィチの「死後の安息」観の変化

 ところでこの「死後の生命という安息」のテーマは,ショスタコーヴィチにとってかなり重要なものであったようである。彼の音楽は時々このテーマ,及びそれに近いテーマを扱っている。 交響曲第5番の終楽章と『プーシキンの4つの歌作品46』の中の「復活」との関係についてはかつて書いたが,この「復活」などは好例であろう。 野蛮人に作品を塗り込められた天才の傑作は,やがて真価を発見されて「復活」する。 つまり他ならぬ交響曲第5番のテーマの一つが「死後の栄光」だったのである。 交響曲第13番「バービィ=ヤル」の第5楽章「出世」も同様である。 生きている間は迫害を受けたガリレオ=ガリレイも,死後はその偉業を称えられ,真の「出世」をした。 ガリレオの業績は,ショスタコーヴィチ自身の作品の隠喩に違いない。 スターリンによる2度の批判による苦境の中で,「現在は認められなくても自分の死後,自分の作品は正当に評価されるに違いない」という考えをショスタコーヴィチが持つようになり,それを良心の支えとして作品を書き続けたと考えるのは突飛な推測ではないだろう。 つまり『死者の歌』で否定された『大地の歌』は,彼自身の過去の考えでもあったのである。

 ところがショスタコーヴィチは,ある時期から「死後の栄光」の価値に疑問を抱きはじめた。 交響曲第13番より前の作品なのだが,サーシャ・チョールヌィの詩による『風刺』の中の「子孫」という歌にはそのような考えが表明されている。 先祖たちは「我々の子孫の時代には生活は良くなる」と言い続けてきた。 しかし現在の人々もなおそう言い続けている。 我々はメトセラだというのか。私は自分のために光が欲しい。 子孫は勝手にするがいい。 そんな内容の詩である。 どういう事情でショスタコーヴィチの考えが変わったのかはわからないが,『死者の歌』以前にこのような意識の変化があったのは確かである。

 他に,歌詞のない器楽曲で,このテーマを扱っている可能性のある作品を二つ挙げたい。 まずは交響曲第10番である。この曲の第3楽章ではDSCHの動機と,『大地の歌』冒頭を連想させるホルンの動機が対話し,葛藤を示す。ホルン動機は最近女性の名前ではないかと言われているが,それは『大地の歌』との関係と排他的なものではない。E-A-E-D-Aという連なりは,音高も同じであるし,楽器もわざわざホルンが選択されているこの動機(後半ではさらに『大地の歌』に近い,E-A-E-D-E-A となる)が『大地の歌』と無関係であると主張することは難しいであろう。 もう一つは弦楽四重奏曲第8番である。この曲は,戦争で過去の文化遺産が破壊されたドレスデンをショスタコーヴィチが訪問した際,わずか3日で作曲された。 自作が多く引用されているのは,自分が死んだ後の自作の運命を,ドレスデンの廃虚に重ねあわせたのではないだろうか。 この作品と同じ機会にショスタコーヴィチは,長年の友人コージンツェフ監督の映画『五日五夜』のための音楽を書いているが,この映画が,ドレースデン空爆の前に美術品を美術館から運び出して守るという物語であることは示唆的である。 正直なところ根拠は弱いのだが,前者はスターリンの死,後者は共産党入党という大きな出来事の後の作品である。 そのような機会に,ショスタコーヴィチが作曲家としての自分のあり方を問い直すことを迫られたということは十分考えられる。これらの謎めいた作品を理解する一つの手がかりとして有効かもしれない。

7. 結語

 冒頭に提示した,なぜ作曲者はこれらの11の詩を選んだのか,そして何を基準にこのように並べたのかという問題について,この小論が十全に答えているとは言えない。しかし,第9,10,11楽章の詩の選択と配列については,上に述べたような意図が隠されている可能性は高いのではないかと思う。他の楽章についても,対応するマーラーの作品,ショスタコーヴィチのその曲に対する考え方を立体的に捉えることによって,より深い理解が得られるのではないだろうか。

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